茜吏の病気について
ーはじめにー
当サイトにご訪問ありがとうございます。
この度、3歳の娘、茜吏(あかり)が持つ小児がんを乗り越えるために、
恐縮ながら募金のお願いをさせていただくため、
2021年7月に当サイトを立ち上げました。
この度、2021年12月に募金の方は締め切らせていただきました。
数多くのご支援、ご協力、本当にありがとうございました。
父 大樹、母 真里より
ー異変からの脳腫瘍発覚ー
2021年の2月頃から歩き方に異変を感じ始め、3月の上旬に病院に診察に
行きました。
初めは骨にも異常が見られず、引っ越しなどの環境の変化による
精神的なショックが原因で歩き方に異常が出ているのかもしれない
との診断でした。
しかし脳内の異常というものも万が一あるので、
MRIにて詳細な検査をすることになりました。
翌週、横須賀の病院にてMRIの検査をし、脳内の小脳の付近に直径5cmの腫瘍があることが発覚しました。
同日に救急搬送で横浜の病院へ搬送されました。
ー摘出手術ー
脳内の腫瘍は、『髄芽腫』と呼ばれる腫瘍で、まずすぐに取り除かなければならないレベルだったので10時間に及ぶ摘出手術をしました。
深夜、手術後に先生から「肉眼で確認できる部分は全部取れました。」との報告を受けました。
術後、脳の手術をしたことによる小脳無言症という副作用があり、言葉がしゃべれない時期がありました。
また歩く動作、掴む、見るなど動くことがうまくできず、リハビリの日々が始まりました。
ー治療開始ー
術後数週間は体の回復を待ち、その後5クールの抗がん剤治療(臨床試験)が始まりました。
副作用で下痢、嘔吐、口の中に炎症を起こし、食べる、飲むができない、そんな期間が1週間くらい続く辛い薬です。
1クール1ヶ月で、各クールごとに一時帰宅があります。妹に会えるのも1ヶ月に1回、2〜3日です。
コロナもあり、両親の面会はどちらか一人、三浦市から横浜市まで通い、13:00〜19:00の時間、毎日面会になります。
3歳の年齢で一日の3分の2は一人病院で頑張らなきゃいけなくてはならない日々が始まりました。
髄芽腫は世界的にもまだ症例が少なく、「絶対にこの治療が効く」といった治療が見つかっておらず、
手術で摘出した腫瘍の病理診断を実施し、その結果により後半の治療方向を決めるという方向になりました。
ー病理診断結果ー
2ヶ月後、病理診断の結果報告がありました。
結果は再発率、転移率が高く一番治りの悪いグループ、
「グループ3」でした。
このことを踏まえて今後の治療方向を先生、教授と話し、治療をします。
治療を決める上で大事なのが、『放射線』でした。
3才の幼い子供が体の大部分に放射線を当てるとその後の人生に大きく後遺症を残し、強い影響が出てきます。
なので腫瘍のあった①局所の部分にだけの照射にするか、もしくは②局所+全脳、全脊髄(CSI)、その2つの中から選ぶ必要がありました。
①強い治療+強い後遺症+高い治癒率
または
②新しい治療+少ない後遺症+未知の治癒率(今までと同等の見込み、現時点で同じ状況で同じ治療をしたケースがないのでデータなし)
のどちらかで選ぶ必要があります。
ー5クールの抗がん剤と陽子線治療ー
茜吏のために一番いい治療は何か?先生、教授でさえも50/50で、『今の彼女の状況であれば絶対にこの治療』とはっきり言えない中。
最終的には両親である私たちが決めなくてはいけない。
先生、教授、他の病院の教授や臨床試験を作った教授、看護師、保育士などいろんな方の意見を聞き、茜吏の人生全体を考え、大きな後遺症がなく今後も人生を歩んでいけるよう希望の持てる治療を選んであげようと思い、決断しました。
4回の化学療法のあと、1回の大量化学療法をし、2ヶ月間ほど茨城の病院に入院し、放射線を局所のみ(腫瘍があった小脳の部分)に当てていくという治療になります。
ー長期入院終了ー
12月第一週、9ヶ月に及ぶ横浜、そして筑波での入院生活が転移、再発なく無事終了し、自宅に帰宅しました。
これより毎月3日程の入院にて残りの治療をしていきます。
本人は元気に家族との時間を過ごしています。家族総出での長期入院での治療の生活もひと段落し、一安心です。
ー両親よりー
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
がんが見つかり数ヶ月間、世界中から応援をいただき、
両親の自分たちも茜吏本人も『一人じゃない』
という事を感じながらここまで前向きに戦ってこれました。
本当にありがとうございます。
「何かあったら言ってね」という言葉ひとつだけでも大きな支えになりました。
大切な娘がまだ治療の進んでいない小児がんになってしまい、3歳の小さな体で戦っていかなきゃいけない。
コロナ禍で制限もあり、寂しい時間を過ごさなくてはいけない。
「他の子達は普通に家族でご飯を食べてる時間なのに、どうして...」って思うこともありました。
親と毎日過ごすのが普通の年齢でこのような環境を乗り越えていかなければいけないということに対して、本当に心が締め付けられます。
でも毎日心から祈っています。
いつも通り、普段通り家族が一緒にいられるように、この闘病期間のことを笑って話せる日が早くくるように。
毎年何事もなく誕生日が迎えられるように。
名前に込めたよう、『茜色の暖かい光で東の国から世界を照らせる人(吏)』になれるように...
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
2021年 12月更新
下里大樹・真里